幼児教育からやり直したい一人暮らしの大学生

教育学部の幼児教育を研究している大学生。全部自腹で一人暮らし中・・・

失敗を合理的に考えてみる


失敗するのがこわい。ってよく聞く。

けど、合理的に考えれば、失敗を恐れるってふつーはできない。


もちろん、同じことで失敗したことがある場合は可能。


でも、何かをやる前に失敗がこわいっていうのはおかしい。

だって、失敗は、失敗してみたときしかどんなものかわからないから。

人間は死に直面することができない。

という哲学の言葉と似てる部分がある。

失敗はとりあえずしてみればいい。

もちろん、失敗する前提はダメ。
なるべく失敗する可能性を低くするように徹底的に準備して行う。

それで失敗したなら、そのとき考えればいい。


直面したことのない失敗に恐れてたら、何もできないよ。

 

まずやってみよっ


モノを学ぶためのいちばん良い方法はなんだろう


その道の先人が執筆した書物
教授による講義?
インターネットにあふれかえる情報?


僕はちがうと思う。

モノを学ぶいちばんの方法は
「やってみる」ということなんじゃないかな。


知識・理論としてわかっても、やってみる、つまり実践してみるとまったくちがうことが多い。


やってみて、そしていろいろ試行錯誤して、ひとつの形ができたあとに、書物などの情報から理論を学ぶ、これが「学び」だとぼくは思う。


だから、ぼくは生きていて、なにかを学ぼうとしたとき、「とりあえずやってみよう」と思って、実際にやってみる。

これは仕事でもスポーツでもあてはまることが多い。

さぁ、今日もとりあえずやってみよう。

心の壁がじゃま

 

ヒトはなかなか新しいことに手を出さない。

その理由の1つとして、新しいことを始めるには心の壁があるから、

心の壁って?

それは、まだ未知なものに対する不安、自分が慣れていないものを1から始めるめんどくささ、自分が浸かってる世界から新しい世界に飛び込むための覚悟。

あとは、最初の思い通りにならない時期のイライラ、うまくできないことでプライドが傷つくこと。

これは全部心の壁。

でも、この心の壁を乗り越えると

やってよかった
達成感がある


そんな気持ちに包まれる。


そう、最初の少しをがんばれば、新しい知見が拓ける。

美容が生まれた歴史

電車の中で広告をみつけた。

美容クリニックの広告。

そこで、なんで、美容や整形というサービスが生まれたのか考えてみた。

まず、美容や整形を生み出した人は、何らかの思いがあったはずだ。

もしかしたら、とても好きになってしまった男のヒトがいたけど、そのヒトには自分より美しい恋人かいたのかもしれない。
そして、その恋人より美しくなれば、その男のヒトを自分のモノにできるかもしれない。

だから、自らの顔をもっと美しくしたり、肌を雪のように白く、卵のようにきれいにしたいと思ったのかもしれない。

そして美容や整形というサービスの根源がうまれたのかもしれない。


ただ、一方でこういうことも考えられる。

自分が女の子の子供を産んだ。
でも、その女の子の顔はとても醜いもので、町のヒトからはバケモノと言われていた。

これがイヤで、自分のため、もしくは子供のために顔を変えてあげたいと思ったのかもしれない。

だから、その親が自分の子供の顔をいじった、そして、そこから整形や美容がうまれたのかもしれない。

これはあくまでも仮説で、ほくの想像。

でも、ひとつ言えるのは、今、世界にある全てのサービスは何らかの信念があるってこと。

そして、その信念はどこから生まれてるかというと、「人の悩みや苦しみ」からだということ。

そのキズが浅かれ深かれ、それを解決するために新たなサービスは生まれてる。

そう思うと、街中、みんなの苦しみや悩みを解決するサービス、店で溢れてるじゃないか。

意外とみんなが思うほど悪くない世界だと思うよ。

感情のコントロール

 


みなさん、なぞなぞです。

生きていく上で、必ず邪魔になるものはなーんだ。

でも、人間はそれがなきゃ、味のない人生しか生きれない。


答えは


感情。

感情は邪魔だ、めんどくさい、つらい、悲しい、やりたくない、こんな感情がなければ生きててイヤになることはない。


でも、楽しい、わくわくする、幸せ、気持ちい、これらの感情がなきゃ、つまんない人生になる。


ほとんどの人間は感情で生きている。

感情は人間をコントロールしてる。


ただ、社会で求められるのは、感情を抑えて理性でモノを考えられる人。

あぁ、やっぱり感情は邪魔だ。

 

何もかも投げ出したくなったら、未来を考えることにしてる

今日観た映画に、こんな言葉があった。

「誰だって明日がくるかわかんない」

たしかにそうだ。

いや、ほんとにそうか?

と思った。

余命宣告されているヒトや遭難してしまったヒトは、明日がくるかわからない。

でも、普通に暮らしているほとんどのヒトは、何の根拠もないまま、明日が当たり前にくると思ってる。

なぜなら、
みんな自分のスケジュール帳をみてほしい。

来るかわからない未来に、すでに予定を立てていないだろうか。

友達とディズニーに行く約束、恋人とデートする約束。

そして、それを楽しみにして日々生きていないだろうか。

なにかイヤなことがあっても、

今日がんばれば、明日友達と会える

みたいに、未来に期待を寄せて日々を過ごしていないだろうか。


きっと、

「誰だって明日がくるかわかんない」

は誰だってわかってる。

でも、それは自分には当てはまらない。

そう思っている

なんの理由もなしに、自分は例外だと。

 

 

インターネットはみんなの解放場所

Instagramは少し別だけど、TwitterみたいなSNSは、みんなにとって解放された場所だと思う。

まぁ基本的に、現実世界では、多くのしがらみに苦しんでいる人が多い。

多くは、会社や学校の組織、むだな仲間意識とかもろもろ。

あと、暗黙の了解で、言っちゃダメなこともある。

例えば、やけどして顔にひどい跡がついてるヒトがいたとしよう。

すると、ほとんどのヒトは顔にやけどをしたヒトを見たとき、一瞬心の中で思うだろう。

気持ち悪い。と。

ただ、それを口に出せない。
出したら非難されるから。

これと同じことがアメリカの大統領選挙のときに起きていた。

イスラム教はテロを起こすかもしれない。危険だ。だから移民を受け入れるべきじゃない。

しかし、アメリカの人々は、これを口に出すことが許されなかった。

アメリカは多民族国家。その背景があるために、移民排除を言ったら非難を浴びるから。

これは、ポリティカルコレクトネスというものだ。

簡単に言えば、本音だけど口には出して言えないこと。

これをうまく利用したのが、トランプ。

彼はみんなが思ってること言葉にして、指示を得ていた。結果、当選。

話はもどるがインターネットはこの、ポリティカルコレクトネスを解放できる場である。

つまり、現実世界では口に出して言えないことを、インターネットでは言葉にできる。

SNSは、現実世界で縛られている人たちを解放してくれる場所なんだ。